2017年3月26日の朝の筑後川昇開橋。
前回のエントリーまでで、佐賀駅からこの橋を渡って東大川駅跡まで辿り着きました。
佐賀線の廃線跡探索、今回が最終回です。
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佐賀線の廃線跡探索、第2回目です。
写真は2010年6月25日に訪問したときに撮影したもので、こちらは筑後若津駅跡となる福岡県側の入り口から撮っています。
遊歩道となった橋を渡っていきます。
可動部が近づいてきました。
右側の「筑後若津」の看板は廃止当時のものなんでしょうか?
これが可動部が上がっている状態です。
このすぐそばに可動させるための機械室があり、係員の方がお2人が設備の担当をしつつ記念品を売っていました。
その係員さんのご厚意で、可動する様子を撮影させていただきました。
係員さんの説明によると、約23mほどの高さを約5分ほどかけて可動するそうです。
(この動画は動き始めてから撮影したため短くなっています)
現在も時間を決めて可動を行っています。
写真には写ってませんが、現在可動させる機械室は鉄塔の足元部分にあります。
佐賀線現役当時の筑後川信号場として設置された際の機械室は今の場所とは反対側の3階建ての建屋に設置されていたと聞いたことがあります。
当時信号場の係員さんたちは筑後若津駅から施設専用の歩道を通って信号場に向かっていたそうです。
ちなみに名前は信号場でしたが、いわゆる列車交換の設備はなく、あくまでもこの橋の可動のみの業務でした。
この可動橋をディーゼルカーが通っていた時代はどんな光景だったんでしょうか?
それを彷彿とさせる動画をYouTubeで発見しました。
撮影者が1985年8月12日、奇しくも日本航空123便の墜落事故が起きた日に撮影したものだそうです。
昇開橋の手前になる諸富駅から昇開橋を渡り筑後若津駅で降りた動画。
この動画の1分32秒頃に筑後川信号場の建屋が、2分3秒からは現役の筑後若津駅が映っていますね。
こちらは反対に、筑後大川駅〜筑後若津駅〜諸富駅と乗車している動画。
撤去された跳ね橋の花宗川橋梁を渡り、昇開橋を渡り終わる直前で動画が終わっています。
これは貴重な動画です。
それでは、佐賀線廃線跡探索を続けましょう。
今回は筑後若津駅からの探索です。
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